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東京地方裁判所 平成6年(ワ)2506号 判決 1995年11月27日

原告

片岡智子

右訴訟代理人弁護士

石塚英一

被告

東京大林計器株式会社

右代表者代表取締役

矢崎守也

右訴訟代理人弁護士

浜田正夫

主文

一  被告は、原告に対し、金五〇〇万円及びこれに対する平成六年一月二一日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その四を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  原告の請求

被告は、原告に対し、金二七九七万六九六〇円及びこれに対する平成六年一月二一日から支払い済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  争いのない事実

1  被告は、度量衡器・計量器の販売を目的とする、資本一〇〇〇万円の株式会社であり、訴外亡片岡輝和(昭和一五年五月一〇日生、以下、「亡輝和」という。)は、昭和三五年頃、被告に雇用され、営業業務に従事していた。

原告は、昭和四七年一一月二五日に亡輝和と婚姻の届出を了し、その後同居していた同人の妻である。

2  被告は、平成二年七月九日頃、訴外明治生命保険相互会社(以下、「明治生命」という。)との間で、亡輝和を被保険者、被告を保険金受取人とする死亡保険金三〇〇〇万円の生命保険契約(以下、「本件生命保険契約」という。)を締結した。

右生命保険契約の申込に際し、被告は、自ら保険契約者として記名捺印し、亡輝和に同意の署名捺印をさせた「生命保険契約付保に関する規定」(以下「本件付保規定」という。)と題する書面を明治生命に提出したが、同書面には、「この保険金契約に基づき支払われる保険金の全部またはその相当部分は、死亡退職金または弔慰金の支払に充当するものとする。」との文言が記載されている。

3  輝和は、被告会社に在職中の平成五年六月二八日に病死し、明治生命から被告に対し、本件生命保険金三〇〇〇万円が支払われた。

4  被告会社には、退職金規定が存在しないが、被告は、亡輝和の遺族である原告に対し、死亡退職金として一〇〇〇万円を支払うことを決定し、その原資として、中小企業退職金共済事業団よりの退職金(以下、「本件中退金」という。)六四七万六九六〇円、アメリカンファミリー生命保険会社(以下、「アメリカンファミリー」という。)よりの生命保険金一五〇万円、及び本件生命保険金三〇〇〇万円の内金二〇二万三〇四〇円、合計一〇〇〇万円をもって、これに充てた。

5  原告は、被告に対し、平成六年一月二〇日到達の書面をもって、本件生命保険金の残額二七九七万六九六〇円の支払を求めた。

二  争点

本件生命保険契約加入の際、本件付保規定に基づき、被告会社と亡輝和との間に、本件保険金全額またはその相当部分を、退職金または弔慰金として亡輝和の遺族に支払うとの合意(以下、「本件合意」という。)が成立したか否か、またこれが成立したとして支払うべき退職金・弔慰金の金額はいくらか、が争点である。

(争点に関する原告の主張)

亡輝和は、本件生命保険契約を締結した当時、「新契約決定成立通知」(甲三、以下、「本件新契約決定通知」という。)を原告に渡し、原告に対し、本件保険金全額をもらえる旨告げ、また亡輝和は、平成四年一一月、大腸がんが再発した頃、原告に対し、被告会社の実質的経営者であった矢崎春美専務(以下、「春美専務」という。)に、本件保険金全額を支払うことを約束させた旨告げていることから、被告は、原告に対し、本件合意に基づき、本件保険金全額を支払うべきである。

仮にそうでないとしても、被告は、原告に対し、本件保険金の相当部分を支払うべきであり、本件生命保険は、従業員の福利厚生のためのものであることや、亡輝和は、被告会社のために長年にわたって貢献してきたこと等を考慮すると、本件保険金から控除できるのは、被告会社の支払った保険料相当額程度というべきである。

(争点に関する被告の主張)

本件付保規定は、商法六七四条一項本文の規定に基づき、いわゆる「他人の生命の保険契約」を締結する際、被保険者の同意を証するため作成されるものであり、同付保規定により本件合意が成立したということはできない。

また、本件付保規定に関する書面は、本件保険契約締結後の平成二年七月二四日頃作成されたものであるが、その当時、被告会社も亡輝和も、本件保険金をもって退職金または弔慰金に充当する旨明示してはいなかったから、本件付保規定により本件合意が成立したということはできない。

しかし、本件生命保険契約の趣旨・目的が従業員の福祉という側面を有することを考慮すると、合理的相当な範囲内で、退職金支払義務を認めることが妥当である。

右観点に立って、本件生命保険契約及び本件付保規定を解釈すると、退職金規定が存する場合には、本件生命保険金をもって同規定に基づいて算出された金額に充当すればよいのであるが、被告会社のように退職金規定が存しない場合には、会社の規模等に応じて適正相当な退職金額を算定し、充当すべきであり、本件付保規定にいう「保険金の相当部分」とは、右適正相当な退職金額を指すものというべきである。

そして、被告会社の規模、亡輝和の勤務状況、亡輝和に対する賃金の支払状況等を考慮すれば、被告が支給した退職金一〇〇〇万円は、まさしく適正相当額ということができる。

なお、被告会社は、明治生命に対し、本件生命保険の保険料として、合計三〇二万七〇一四円を支払っている上、平成五年度分決算報告に際し、本件生命保険金三〇〇〇万円を収入として申告しているが、その法人税は一〇四九万円、法人事業税は三四四万九二〇〇円、法人都民税は二一七万一四〇〇円、合計一六一一万〇六〇〇円となるから、被告が、原告に対し、本件保険金残額二七九七万六九六〇円の支払をしないからといって不当に利得したということにはならない。

第三  争点に対する判断

一  本件合意の成否について

1  前記争いのない事実と証拠(甲一、二、四、五の1、2、乙二ないし五、八、証人大谷久子、同矢崎春美、原告本人、弁論の全趣旨)によれば、次の事実が認められる。

(1) 被告会社は、代表取締役社長である矢崎守也(以下、「守也社長」という。)の一族で経営する同族会社であるが、亡輝和は、同族でない社員として昭和三五年頃に入社して以来、ずっと営業に従事してきた。

(2) 被告会社は、古くから、従業員に対する福利厚生の一環ないし税務対策として、各従業員個人を被保険者、被告会社を受取人とする生命保険に加入しており、従業員が退職する際は、解約返戻金を退職者に渡すか、または退職者が新たに保険契約者となって当該保険契約を継続することを認めていた。

(3) 亡輝和を被保険者とする生命保険についてみると、被告会社は、明治生命との間に、①昭和三六年七月二〇日に、保険金を主契約九万円、満期九万円、保険料を月二七八円とする養老保険契約、②昭和三九年八月一三日に、保険金を主契約五〇万円、満期五〇万円、保険料を月一六〇〇円とする養老保険契約、③昭和四三年三月七日に、保険金を主契約五〇万円、満期五〇万円、保険料を月一九九〇円とする生活設計保険契約、④昭和四五年三月一九日に、保険金を主契約五〇万円、満期五〇万円、普通死一〇〇万円、災害死一五五万円、特疾死一〇〇万円、保険料を月一九五〇円とする生活設計保険契約、⑤昭和五二年一〇月二五日に、①ないし④の保険契約を一括して転換消滅させ、保険金を主契約一〇〇〇万円、満期一〇〇万円、普通死一〇〇〇万円、災害死二〇〇〇万円、特疾死一〇〇〇万円、保険料を月一万一五〇〇円とするゴールド保険契約、⑥平成二年七月九日に、⑤の保険契約を転換消滅させ、保険金を主契約一五〇万円(保険期間・終身)、普通死二八五〇万円(保険期間・一〇年)、保険料を月一万七二七三円(保険料二万八一三三円から転換振替保険料一万〇八六〇円を差し引いたもの)とするライフ保険契約(本件生命保険契約)を締結してきた。

被告会社は、このほか被共済者を亡輝和とする中小企業退職金共済制度に加入し、またアメリカンファミリーとの間に、被保険者を亡輝和、保険金を一五〇万円とするがん保険契約を締結している。そして被告会社は、中退金制度については、加入後、相当年数を経過することに掛金を増額してきた。

(4) 本件生命保険契約に加入した際の状況についてみると、明治生命の外交員である訴外大谷久子(以下、「大谷」という。)は、平成元年末頃以降、守也社長に前記(3)⑤の契約を転換して新たな生命保険契約を締結するよう勧誘し、概ね承諾を得ていたところ、平成二年四月頃、守也社長がパーキンソン氏病に罹患し入院したため、その後守也社長の長男で被告会社の経営を実質的に引き継いだ春美専務(ただし、同人は、商業登記簿上、取締役の地位に就いていない。)との間で交渉を継続し、保険料等について説明し、その同意を得、あわせて亡輝和にも、生命保険金額等本件保険契約の内容について説明をし、その同意を得た。

平成二年七月四日頃、保険契約者欄に被告会社、被保険者欄に亡輝和が署名(記名)捺印した本件生命保険契約申込書が明治生命に提出されたが、同月九日頃、亡輝和は、明治生命の社医の健診により、糖尿病の診断を受けたため、いわゆる「事故付き」の案件として慎重な審査を要するケースとなり、保険契約の締結が遅れた。

同月二四日頃、大谷は、被告会社を訪れ、居あわせた春美専務及び亡輝和に対し、「被保険者と契約者が違う場合、マニラの保険金殺人事件のようなことがあるので、生命保険契約の締結にはこのような書面が必要である。」と説明し、本件付保規定の書面に署各捺印を求めた。その際、大谷は、亡輝和から、本件付保規定に記載された「この生命保険契約に基づき支払われる保険金の全部またはその相当部分は、退職金または弔慰金の支払に充当するものとする。」との文言(以下、「本件文言」という。)について、右金額はどの程度のものかとの質問を受け、「亡輝和と被告会社との関係だから自分が答えることはできない。」旨返答した。

こうして、保険契約者欄に被告会社、被保険者欄に亡輝和がそれぞれ署名(記名)捺印した本件付保規定の書面が作成され、翌二五日に明治生命に提出された結果、同年八月三日頃、同社は、本件保険契約を承諾した(契約締結日は、初回保険料が支払われた同年七月九日)。

(5) その後亡輝和は、糖尿病の治療のため通院中、大腸がんが発見され、手術のため平成二年八月中旬から一〇月一九日まで入院加療した。

右退院後、亡輝和は被告会社に職場復帰したが、午前一〇時頃出社し、午後三時には退社する勤務状況であった。

亡輝和は、平成四年一〇月頃、がんが再発し、放射線治療を受けるためほとんど出社しなくなり、翌平成五年四月二六日に入院し、同年六月二八日に死亡した。

(6) 輝和の死亡後、春美専務は、他社の知人から基本給に在職年数を乗じた金額が退職金として支払われる事例が多いと聞知し、これによって計算したところ、七四二万五〇〇〇円となった(基本給二二万五〇〇〇円×三三年)が、亡輝和の貢献度、同人の遺族の事情(未成年の子二人)等を考慮して退職金として一〇〇〇万円を支払うことを決定し、その原資として、本件中退金六四七万六九六〇円(平成五年七月三〇日頃支払)、アメリカンファミリーよりの保険金一五〇万円(同年八月一二日頃支払)、及び本件生命保険金のうち二〇二万三〇四〇円(同年九月一〇日頃支払)を充当した。

平成五年九月七日頃、原告は、本件新契約決定成立通知を示し、春美専務に対し、本件生命保険金全額の支払を求めた。そのため、春美専務は、大谷に対し、本件生命保険金全額を支払わなければならないのかと問い合わせたが、明治生命は、全額支払う必要はないとの回答であった。

2 右認定事実に基づき、本件合意の成否について判断するに、本件付保規定の書面は、平成二年七月二四日頃、明治生命の外交員大谷が、被告会社において、春美専務及び亡輝和に対し、本件生命保険契約締結に必要な書面として示し、署名・捺印を求めたものであるが、その際、大谷は、亡輝和から、同書面中の「この生命保険契約に基づき支払われる保険金の全部またはその相当部分は、死亡退職金または弔慰金の支払に充当するものとする。」との文言の意味内容について質問を受け、「亡輝和と被告会社との関係だから自分が答えることはできない。」旨返答しており、その場に春美専務も居あわせていること、本件付保規定の書面は、本来いわゆる「他人の生命の保険契約」について商法六七四条一項本文により必要とされる被保険者の同意を証する書面であるが、右文言の内容は合理的なものであって、被保険者である亡輝和と被告会社の内心の意思が、そのようなものであることを推測させるに足りるものであること、同書面の記載事項は、右文言を含め、わずか三項(八行)にすぎず、記名捺印する際に十分一覧可能であったと認められることからすると、亡輝和と被告会社との間に、暗黙のうちに本件付保規定の文言に沿った本件合意が成立したと認めるのが相当である。

もっとも、遺族に支払われるべき死亡退職金または弔慰会の金額については、右文言上、常に本件生命保険金の全額が支払われるものとはされておらず、亡輝和が保険金全額の支払を必ず受けられるものと期待していたとは考えられないから、本件生命保険金の相当部分をもって、死亡退職金または弔慰金に充当する旨の約定がなされたと認めるのが相当である。

原告は、本件新契約決定成立通知を所持していることや、「亡輝和が、原告に対し、本件生命保険契約成立に際し、本件保険金全額をもらえる旨、また平成四年一一月、大腸がんが再発した頃、春美専務に、本件保険金全額を支払うことを約束させた旨告げた」と主張し、原告本人尋問の結果中にはこれに沿う部分があるが、本件新契約決定成立通知は、明治生命の社内文書であって、いかなる経緯でこれが流出し、原告が所持するに至ったのか明らかでなく、証人矢崎春美の証言に照らしても、右主張・証拠を採用することはできない。

二  退職金・弔慰金の相当額について

1  被告が本件合意に基づき支払うべき本件生命保険金の相当部分は、死亡退職金と弔慰金の性質を併有するものと解されるが、被告会社に退職金規定は存在しないので、本件生命保険契約を締結した趣旨・目的、亡輝和の勤続年数、給与額、勤務状況、被告会社への貢献度、本件生命保険の加入・受給に伴う支払保険料・税金等の諸般の事情を考慮し、公平の観点から右金額を定めることとする。

2  前記認定事実に加え、証拠(乙一、八、九、証人矢崎春美、原告本人、弁論の全趣旨)によれば、次の事実が認められる。

(1) 亡輝和は、昭和三五年頃の入社であるから勤続年数は約三三年であり、死亡当時(平成五年六月)の給与額は、基本給二二万五〇〇〇円、家族手当四万五〇〇〇円、役職手当三万円、拡販手当二万円、その他手当七万円、合計三九万円である。

(2) 亡輝和は、入社以来、営業に従事し、被告会社の業績拡大に貢献してきており、被告会社の事業はこれまで順調に推移してきた。

(3) 被告会社は、資本金一〇〇〇万円の同族会社であり、従業員数は、数名程度であるが、従業員に対する福利厚生の一環として、また対税上、保険料を損金に算入する目的をもって、古くから、従業員を被保険者とする生命保険契約に加入してきた。本件生命保険金全額が三〇〇〇万円と、通常の退職金額に比して多額であるのは、労働災害による死亡の場合のように、被告会社が多額の補償責任を問われる事態に備える意味合いも有すると考えられる。

(4) 亡輝和は、大腸がんにより、平成二年八月中旬から同年一〇月一九日まで入院し、同年一一月頃より職場復帰したが、その後は、午前一〇時頃出社し、午後三時頃退社するという勤務状況であった。

平成四年一〇月以降、がんが再発し、放射線治療のためほとんど出社せず、同年一〇月は一日、一一月は二日、一二月は六日(春美専務がホノルルマラソンに出場した期間中の出社三日を含む。)、同五年一月は九日、二月は一二日、三月は一四日、四月は六日のみの出社であり、同年四月二六日に入院し、同年六月二八日死亡した。

被告会社は、亡輝和の出勤状況が右のようなものであったにもかかわらず、自宅で電話によって営業業務に従事してくれればよいといって、給料の減額はせず、死亡に至るまで給料及び賞与の全額を支給し続けた。

のみならず、被告会社は、平成二年八月から一〇月までの二か月分及び同五年五月分について、亡輝和が傷病手当金(給与の六割当額)の支給を受けるのに協力した。

また、被告会社は、アメリカンファミリーよりの入院給付金六四万五〇〇〇円を平成五年八月一二日頃、前記死亡保険金一五〇万円とともに原告に支払った。

(5) 被告会社が亡輝和を被保険者として加入した生命保険の状況は、前記一・1・(3)のとおりであり、明治生命に対する支払済み保険料は、通算すると三〇二万七〇一四円である。

また、被告会社は、平成五年九月一〇日までに本件生命保険金三〇〇〇万円の支払を受けたが、右収得により被告会社の平成五年度分(平成五年六月一日から同六年五月三一日まで)の税額は、法人税一〇四九万円、法人事業税三四四万九二〇〇円、法人都民税二一七万一四〇〇円、合計一六一一万〇六〇〇円と計算される。

3 右認定した事情によって、被告会社が本件生命保険金のうちから原告に対し支払うべき退職金・弔慰金の額を定めるに、既払額を除き金五〇〇万円をもって相当と認める。

三  以上によれば、原告の本訴請求は、金五〇〇万円及びこれに対する催告の日の翌日である平成六年一月二一日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容するが、その余は失当として棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官吉田肇)

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